安永九年(1780)というと、天明という年号に改まる前年のことになります。
この年、出版屋の蔦屋重三郎のところから『虚言八百万八伝』(ウソハッピャクマンバチデン)
という黄表紙が出版されました。
本の内容は、嘘ばっかりついているふざけた男のことを書いたものですが、
その序文を「大田南畝」が書いています。
「大田南畝」を取り巻く狂歌・戯作者たちのペンネームを並べて見るだけでも退屈しません。
「大田南畝」、唐衣橘洲(1743〜1802)と並んで狂歌の三大家といわれるもう一人の
朱楽菅江<あけらかんこう>(1738〜1802)の芸名は「あっけらかん」からきているし
ご飯をたくさん食べるので、大飯食人なんてとてもふざけたペンネームの人もいました。
ところである日のこと、「南畝」の名声が高いにを知った
御三卿のうち、田安候がお屋敷に彼を招きました。
九段上からの景色の見事なのが田安候の自慢でした。
そこで田安候、「南畝」に一首求めると次のように詠みました。
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雪・月・花 きっと受け合い
申し候う
よって件(九段)の 上の風
景
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わが日本画壇のエピソード。
画狂人と呼ばれ、引越ばかりしていた葛飾北斎。それに、鬼才・谷文晁。
「大田南畝」もベタほめです。
その証拠に、当時の江戸一流のものを折り込んでいる彼の狂歌に、次のようなものがあります。
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詩は詩仏 画は文晁に 狂歌俺
芸者小満んに 料理八百善
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この鬼才・文晁のところへある時「大田南畝」が訪ねて来ました。
ちょうど文晁も退屈していたらしく黄色いこうほねの花を、赤く塗って遊んでいました。
こうほねとは、黄色い花で水辺や池とか沼に咲く花でよくお茶席なんかに使う花です。
「南畝」はこの時、赤く塗った花とはつゆ知らず赤いこうほねの花は珍しいので
文晁からこれをもらって帰りました。
帰り道、雨が降ってきて塗った色が落ちて洋服を汚してしまったといいます。
ここで、「南畝」は文晁に狂歌を贈りました。
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文晁の 真っ赤な嘘を 知った
なら
こうほねおって もらうまい
ものを
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こんな思いまでしてこうほねをもらってくるんじゃなかったのに、と言うのです。
むざむざ衣服を汚すなんてアホなこったい、ってとこでしょうか......。
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